「コーヒー」と生きる〜そして、一杯の向こう側〜第13話

記憶は時間を越える

 

パセオが閉店して、もう何年も経ちます。本店からも、時間が流れました。

それでも──

 

「忘れられなくて」

 

そう言って来てくださる方がいる。

いま私が身を置いているこの場所でも、本店のことを懐かしそうに話してくださる瞬間が何度もありました。

 

コーヒーを飲みに来てくださったのは確かです。でも、味だけで四年は続かない。

私はそう思っています。

 

三日前に何を食べたかも思い出せないのに、何年も前の味だけがそのまま保存されているとは考えにくい。

味は舌で感じるものですが、記憶に残るのは、そのときの時間ごと。

 

あのカウンター。

あの袋の手触り。

あのときの自分。

 

きっとその一杯には、あの場所の空気や、その時に交わした会話や、その頃の自分の状況も、一緒に重なっていたのではないだろうか。

 

たとえば、おばあちゃんの家に入った瞬間の匂い。

香りというより、“その家の匂い”。

 

あの匂いを感じた瞬間、一瞬で時間が戻る。

声も、畳も、光も、全部まとめて蘇る。

 

コーヒーも、きっと同じなのだと思います。

一杯は、味以上のものを一緒に持って帰っていただいていたのかもしれません。

だから私は、味だけをつくろうとは思っていません。

 

いまこの店で淹れている一杯も、その人の人生のどこかに、静かに置かれるものであってほしい。

 

記憶は、時間を越える。

そして一杯は、その人の時間の中で、静かに生き続けるのだと思っています。

 

(文:横井 力)

 

☆ 次回は3/21(土)の投稿です。