「コーヒー」と生きる〜そして、一杯の向こう側〜第18話
国際品評会で意見が合わないのは当たり前

国際品評会に参加すると、よく聞かれることがあります。
「プロなら評価は揃うんじゃないですか?」
実は、そうでもありません。同じコーヒーを飲んでいても、審査員の意見がきれいに一致することは、むしろ少ないのです。
酸味を高く評価する人もいれば、甘さを重視する人もいる。ボディを評価する人もいれば、余韻の長さを見る人もいる。
点数もコメントも、驚くほど違うことがあります。
最初は、私もそう思っていました。プロが集まれば、評価はある程度揃うのではないかと。
しかし品評会を重ねるうちに、だんだん見えてきたことがあります。
味覚は、文化でできているということです。
国際品評会には、世界中の審査員が集まります。
中南米、北欧、アメリカ、アジア。それぞれ違う食文化の中で育ってきた人たちです。
食べてきたもの。
日常的に口にしてきた味。
それが違えば、おいしさの感じ方が違うのは、むしろ当然のことなのかもしれません。
日本人の味覚の背景には、長い出汁の文化があります。
昆布、鰹節、発酵。
派手な味ではなく、静かに広がる旨味。
強い味ではなく、余韻として残る味。
日本料理は、その「見えにくいおいしさ」を大切にしてきました。私はコーヒーを焙煎するとき、いつもそのことを思い出します。
コーヒーは香りも大切ですが、私が特に大事にしているのは、最後に残る甘さです。
口の中に静かに残る甘さ。
強い刺激ではなく、ゆっくりと消えていく余韻。
それはどこか、出汁の後味にも似ています。
コーヒーは世界中で飲まれている飲み物ですが、味わい方は一つではありません。
北欧には北欧の味覚があり、アメリカにはアメリカの味覚があり、日本には日本の味覚があります。
国際品評会で意見が分かれるのは、決しておかしなことではありません。
それはむしろ、それぞれの文化が生きている証なのだと思います。
味覚に正解があるわけではありません。あるのは、その人が育ってきた背景です。
だからこそ私は、日本人としての味覚を大切にしながらコーヒーと向き合っていきたいと思っています。
出汁の文化の延長にある、静かな甘さのコーヒー。
私は、そんな味をこれからも大切にしていきたいと思っています。
(文と写真:横井 力)

