「コーヒー」と生きる〜そして、一杯の向こう側〜第11話

世界に誇れる日本人の味覚

 

第9話に続いて、味覚の話を。

 

日本を代表する日本料理の世界で、誰もが知る料理人がメディアで語っていた話があります。
それを聞いたとき、私は国際審査の場で体験した、ある出来事と重なりました。

 

欧米の審査員に、「うまみ」という言葉が、どうしても通じなかったのです。

 

説明を変え、言い方を変え、できる限りの表現を尽くしました。
当時は、「自分の英語が拙いからだ」そう思い込んでいました。けれど、それだけではなかった。

 

星付きレストランのシェフが、その日本料理人のもとを訪れ、学びに来たときの話です。

 

出汁とは何か。
うまみとは何か。

 

通訳を介しても、何度説明しても、どうしても伝わらなかったそうです。

 

フォンドボーに代表される“フォン”や、野菜を使ったフォンの文化は、欧米にもあります。
けれど、昆布、鰹節、煮干し、干し椎茸といった素材から、「旨味成分を水やお湯に溶かし出した汁」を使うという発想が、そもそも存在しない。

 

日本茶は、比較的通じる感覚があります。
抹茶は、海外の方にも広く受け入れられている。それでも、出汁だけは、どうも理解されにくい。

 

コーヒーの品評会でも、似た感覚を覚えることがあります。
いわゆる「コク」は、欧米ではワインでいう「ボディ」としてディスカッションが成立します。

 

しかし、“うまみ”に近い感覚は、なかなか共有できない。
コーヒーに「うまみ」という表現を使うことはありません。

 

けれど私は、風味の強さではなく、余韻とともに静かに広がり、持続する“うまみのようなもの”を感じる瞬間があります。

 

考えてみれば、食生活が違えば、おいしさの基準が違うのは、当然のことなのかもしれません。
エチオピアのコーヒーは、国内のみならず、世界中のバイヤーが目を輝かせて奪い合うほどの人気オリジンです。
一方で、その魅力の捉え方は、食文化や国柄によって、大きく分かれるとも感じます。

 

私は昔から、派手なフレーバーよりも、甘さと、口に含んだときの質感を大切にしてきました。
もちろん、それが活きるのは、味わいがきれいであることが前提です。

 

バイヤーの好みもあります。正解は一つではありません。
ただ私は、香りや酸の強さだけを基準に豆を選んだことは、ほとんどありません。

 

どちらが良い、悪いという話ではなく。

 

日本人のDNAに、日本料理に象徴されるような繊細な味覚が、確かに息づいていること。
その感覚は、世界に誇っていいものだと、今ははっきり、そう思っています。

 

(文:横井 力)

 

☆ 次回は3/16(月)の投稿です。