日本人の主食・お米の話 其の一 ~お米の歴史~

日本人の主食といえば、やっぱりお米。パンや麺類を食べる人が増えてきたと言われていますが、それでもやはり日本人の私たちの食生活にお米は欠かせません。さて、そんなお米のこと、皆さんはどれくらい知っていますか? 2回に分けて、お米について考察していきたいと思います。

 

稲はどこから来て、いつから栽培が始まったの?

かれこれ3000年以上昔、縄文時代の終わりには稲作が始まっていたといわれます。弥生時代には、九州北部に伝わり、東日本にまで広がっていきました。この稲が日本に伝わった経路については諸説あるといわれています。ひとつは中国から朝鮮半島南部を経て伝わったという説、長江下流部から直接九州に伝わったという説、中国南部から琉球に入り、南九州に伝わったという説などありますが、いずれにしても大陸から渡ってきたものだといわれています。

稲作中心の農業社会が形成されていく中、米を持つものは富と権力を持ち始めます。米を作る領地をめぐって武士の間で争いが起き、奪い合いを繰り返す時代も続きました。江戸時代に入ると、米を換金するために米商人が現れ、経済を支配するようになりました。

ちなみに、白米を食べるようになったのは奈良時代といわれていますが、あくまで特権階級の人たちだけでした。庶民が白米を口にするようになったのは江戸時代。それでも地方の農村部では分づき米に雑穀などを混ぜて食べており、農村地帯で白米を食べるようになったのは明治に入ってからといわれています。

実は、神話の世界でも稲が登場します。アマテラスオオミカミは、葦原の中つ国(日本)に孫であるニニギノミコトを降臨させることにし、ニニギノミコトは宮崎県の高千穂に降り立ちます。その際、アマテラスオオミカミはニニギノミコトに、日本がいつまでも豊かで幸せな国であるように、この稲穂を育てて民を養いなさいと、稲穂を授けたといわれています。これを「斎庭稲穂の神勅(ゆにわいなほのしんちょく)」と呼びます。

 

日本人にとって神聖な存在であるお米

太陽、月、海、山、風や雨、動植物など、八百万の神といわれるように、日本の神さまは自然界にたくさんいらっしゃいます。稲作は自然の影響を受けやすいため、人々は神さまたちの力で稲作が成り立つと考えていました。そこで、各地の神社で、春の初めに豊作を祈り、秋には収穫を喜び感謝する祭りが行われるようになりました。勤労感謝の日には、全国の神社でその年に収穫したお米を神々に供え、その恵みに感謝する「新嘗祭」が行われます。ほかにも、相撲で「四股(しこ)を踏む」という所作がありますよね。相撲はもともと神事でした。四股を踏むのは、大地を踏みしめて土地の災いを追い払い、豊作を願うという意味合いもあるそうです。これらの話からも、日本人にとって稲がいかに大切で、神聖であるかわかりますよね。

 

お米には、神聖な力が宿っている…?

米の語源についても諸説あり、一つは小さな実を指す「こみ(小実)」や「こめ(小目)」からそう呼ばれるようになったという説。もう一つは、米が儀式や祭礼に使われていたことから、神聖なものや生命力が「こめられた」ものであるとし、それが転じて「こめ」となったのではないかという説です。

また、奈良時代には「稲」のことも「米」という字で表していたそうですが、鎌倉・室町時代には植物の「稲」と、食べ物の「米」は区別して使われるようになりました。米という漢字は、分解すると八、十、八で、八十八となります。昔から、米作りには八十八もの手間がかかると言われてきました。機械化が進んだ昨今でも、まだまだ大変な作業がたくさんあり、三十近くの手間や工程があるといわれています。

次回は、お米の栄養やパワーについて紹介します。