日本が誇る発酵調味料・味噌の話 其の一 ~味噌の歴史~

コロナウイルスの一連の騒動の中、あちこちで耳にするのが「免疫力」という言葉。ウイルスに負けない強い身体を作るためには、免疫力を上げることが大事だと多くの識者も言っていますよね。免疫力を上げるには、体温を上げることと腸内環境を整えることが大事。この腸内環境を整えることにもひと役買ってくれる「味噌」について、歴史や種類、栄養など、2回に分けて考えてみたいと思います。

 

味噌の起源は? 「未醤」が変化して「味噌」に

味噌のはじまりに関してはいくつか説がありますが、古代中国の大豆を用いた塩蔵食品の「醤(しょう、ひしお)」が有力な説といわれています。今でも中国料理では、豆板醤や甜麺醤など「醤(ジャン)」がたくさん用いられていますよね。中国から伝来した時期ははっきりとは分かりませんが、飛鳥時代の「大宝律令」に「醤」という文字が書かれていることは確認されています。「味噌」という呼び名は、「醤」になる前の熟成途中のものがおいしかったので、「まだ醤にならないもの」ということで「未醤(みしょう)」と名付けられ、それが変化して「みそ」になったのではないかといわれています。

 

平安時代には、「味噌」という文字が文献にも登場。当時は、調味料ではなく食べ物につけたり、そのままなめていたようです。薬としても使われ、階級の高い人たちしか口にすることができなかった貴重品でした。

味噌汁が飲まれるようになったのは鎌倉時代。武士たちの「一汁一菜」の食事の形が確立されます。1日5合の玄米ご飯に、みそ汁と魚の干物と香の物が基本とされ、玄米でカロリーを摂取し、干物からカルシウムとたんぱく質、足りないものを味噌で補うという食べ方だったと考えられます。

 

味噌があれば医者いらず⁉ 日々の食事になくてはならない存在

室町時代には大豆の生産量が増え、農民たちが自家製の味噌を作るようになり、保存食として庶民にも浸透します。味噌料理が増えたのもこの頃です。さらに戦国時代は、貴重なたんぱく源として武将たちの兵糧として重宝されました。武田信玄が「信州味噌」、伊達政宗が「仙台味噌」というように、各地で味噌作りも進めていたといわれます。

江戸時代になると、全国各地の味噌が江戸に送られ、それとともに味噌料理も発展、庶民の生活にも味噌汁が浸透するようになりました。この時代に日本の食物全般について書かれた「本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)」には、味噌はなくてはならないものであり、「大豆の甘、温は気をおだやかにし、腹中をくつろげて血を生かし、百薬の毒を消す。麹の甘、温は胃の中に入って、食及びとどこおりをなくし、消化をよくし閉塞を防ぐ。元気をつけて、血のめぐりをよくする」と記されています。これが味噌に対する庶民の認識のもとになったのか、当時のことわざに「医者に金を払うよりも、味噌屋に払え」というものもあったそうです。

 

日本における味噌の歴史は奥が深いものでしたね。次回は、味噌の種類や栄養について考えてみたいと思います。